我が家の風景
前年度へ
2007年 1月 2月 3月 4月 6月 7月 8月 9月
<トップページへ>
8月23日                         今年は度重なる台風で、やっと収穫できる体制が整ってきています
まりえが早朝のバイトを始めて2日。

8時から10時まで。なかなか不定期に休んだりするバイトを雇ってくれるところなどありません。
車に乗って2時間のバイトに通っています。

お芋の集荷をする集荷業者さんのところでバイトです。
早朝とあって本人の生活リズムも整いつつ、ありがたいことです。

お昼からは、塾に通っているユリエの送り迎えです。
妹孝行もしっかりがんばって。。
8月19日
兄と入れ替えみたいに、マリエが帰ってきました。

気ままに一ヵ月半くらい家にいる模様。
「バイトもしたいし、友達のとこにも生きたいし、やることいっぱいあるのよね。」

はいはい、しっかり自分のできる範囲で楽しんでくださいませ。
8月16日
じいちゃん、ばあちゃん、行ってくっからね。」

寂しいのはやはり年寄り。
帰ってくるのを取っても楽しみにしており、そしてまた寂しい思いをさせてしまう。

分かってはいるのだけれど、「今度は、いつかえるのかな?」

じいちゃんも、ばあちゃんもとっくの昔に追い越してしまいましたが、今度は孫が孝行する番だね。
元気でいるのが一番の孝行。しっかり頑張ってきなさい。

しばし、兄とともに過ごした我が家のゆりえ。
私が「コンビニ行こう。」と夜誘いでもしたものなら、無視されるか、「やだ〜〜〜」といわれるか。。。。

兄が「ゆりえ、いくぞ!!」と言うと、いそいそとついていくのでした。
やっぱり兄弟がいるって、いいんだね。

とにかく、しっかり学んで来てください。

お兄ちゃんは行ってしまうけれど、今度はおねえちゃんが帰ってくるからね。
8月12日                      俊一郎、いまどき「三種の神器」
およそ10時間かけて、宇都宮から新幹線を乗り継ぎ、俊一郎が帰ってきました。

「飛行機より歩く距離は短かったよ。案外楽かも。。」
といいつつ、かばんを提げて、かえって来ました。

成人式で帰ったときよりも、むさくるしい風体になっておりましたが、きっと肩まで届くくるくるパーマの髪もやってみたかったのでしょう。ま、何でもやっておくんなまし。。。

「家に帰ってくるまで、ほんとにハードな毎日だったんだ。なんかやっとゆっくりしてる気がする。」
ひとりでの生活も板につき、住めば都は宇都宮の地になっているよう。
寂しい気もしますが、やはり「かわいい子には旅をさせろ。」ですね。
親の勝手ばかり言っていてはいけない。日々成長し続けているのだから・・・。

故郷は遠くにあって思うもの・・・。(こうだったかな??)

きっとこんな感じで我が家の子供たちは、巣立っていくのでしょうね。
そして後には年老いた両親が残される・・・・。。。なんかうら寒くなってきた。

私達は私達の道を歩いていかなければ。
8月6日
本日「広島」の日でした。

朝早くから広島の映像がTVで放送されていて、「また暑い夏が来た。」と考えさせられました。

去年の11月。マリエと一緒に大学の受験に出かけたのが広島でした。
「広島会場」での受験。

「受験は遊びじゃないんだから、土産なんぞ買ってくるなよ。」と担任に送り出され、
せっかく広島に来たのだから、「原爆ドームだけはおまいりして帰ろう」と、二人で原爆ドームに行きました。

電車に乗って、「どこか鹿児島にも似ているね。」などと語り合いながら、近づくドームの凄まじさについ言葉を失ってしまった。
おりしも、あの頃、原爆に関するTVドラマが放送されており、それが頭の隅にありましたし、
毎年毎年8月6日は、朝早くからTVが広島を映しておりました。

声にもならずドームを見上げておりましたら、となりで、やはり声をなくし見入るわが娘。
あまりの衝撃に、涙を流しておりました。

「広島を訪れたら写真を撮ろう」と思っておりましたのに、写真を撮ることさえはばかられるような、そんな心持でありました。
今朝もあの広島の映像を見ながら、胸が痛くなる思いと、澄み渡る青空に「無常」を感じ、
「やっぱり戦争などしてはいけないし、ましてや原爆を持つことや、武力で何かを解決しようなどと、大それたことを考えてはいけないのだ。」と、平和への願いをせつに祈るものです。
トップページへ 質問お問い合わせはこちら
九州最南端 薩摩 西牟田農園
〒891-0704鹿児島県揖宿郡頴娃町別府11412-5 西牟田 峰男☆りえこ(web担当)
TEL0993(38)1658

URL http://www.nisimuta-farm.com
e-mail yoka-vege@nisimuta-farm.com